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私ごとですが、心に沁みる嬉しかったことをメルマガと同じ内容で、お伝えさせて頂きます(*^o^*)
土曜日、父が亡くなって18年以上もたったということで、テニス部の教え子の方たちが集まって下さいました。中学を卒業して50年経った方々で、仕事を退職された方が多く、遠くは埼玉、大阪、北九州、熊本からも来て下さっていました。中学&高校教師をしていた父でしたが、61才で他界しました^^;
私と弟は、幼い頃から父と遊ん記憶が殆どない程に、父は学校の人でした。私たちは小学校の頃、4畳半&3畳のお風呂もついていない市営住宅に住んでいましたが、そんな狭い我が家には、父の教え子の高校生まで住んでました♪その方は、父を「第2の父」と呼び、代表で献花して下さいました♪
18年前、父のお葬式は無宗教で、祭壇は教え子たちが持ち寄ったラケット!でした。あれから18年も経過したのに、今回、父のお葬式で流した父が好きだった曲のテープを持参し、BGMにして下さる方もあり、司会の方、挨拶の方など皆さんが涙で声を詰まらせて話されるのを聴いていて、弟と私は、自分たちが他界した20年後、自分たちのことを涙を流しながら語ってくれる家族以外の人たちがいるだろうか・・・。そう考えると父は幸せ者だと思いました(^-^)/
父の写真を飾って、皆さんが想い出話しをされる中、土日もボールが見えなくなるまでテニスの練習をしていたこと、雨が降ると練習ができず残念で残念で、体育館のない時代で、雨降りには廊下で練習していて、楽しくて仕方なかったこと!女子、男子個人戦、女子、男子団体戦の完全優勝を果たしていた時代、優勝カップをもって県大会に行って、又持って帰ってくる時の嬉しかったこと♪など、話は尽きませんでした。食糧事情もあまりよくない時代、母はテニス部の生徒たちのおやつ作りをしていました。半世紀も昔の出来事です(*^^*)
父は家にいる時は、油絵を描くか、テニスラケットの修理をしていて、やはり父と遊んだ記憶はありません。教え子の方たちは、今も父の名を語った「楠畑杯」というテニス大会を毎年開き、父を偲んで下さっていますが、今回のような偲ぶ会を今後は毎年、開くと決めて下さり、母のお見舞いまでして下さいました(*^^*)
山を切り開いてできたマンモス中学校で、テニスコートの整備も日課。石ころ拾い、ローラーかけをしていたとか、裸足で学校に来る生徒がいた・・・とか戦後10数年の頃の、日本全体が貧しいけれど、心豊かだった時代を一緒に過ごした懐かしいお話をたくさん聴かせて頂き、心に残る一日となりました♪
心から感謝!
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